Yukaのバンクーバーカフェ日記

超然と一歩ずつ前へ! バンクーバーのカフェで働くYukaのゆるゆる日記

#104 夜明けのすべて

続きが気になって、一気に一冊読み終えるのはひさびさだ。

 

おもしろかった。読み始めて数行で世界に引き込まれた。瀬尾まいこさんの作品はいつもそう。

 

そしていつも、どこか解決できずにいる私の悩み事にそっと寄り添ってくれる。中学のときは『幸福な食卓』、母親になる直前には『君が夏を走らせる』、そして今『夜明けのすべて』

 

 

印象に残った一節を引用させてもらいます。

 

働かないと生きていけないし、仕事がなければ毎日することもない。だから会社に勤めている。けれども、仕事のもたらすものはそれだけではない。自分のできることをほんの少しでも、何かの役に立ててみたい。自分の中にある考えを、何らかの形で表に出してみたい。そういう思いを、仕事は満たしてくれる。働くことで、漠然と目の前にある大量の時間に、少しは意味を持たせられる気がする。

 

仕事に悩む今、心に響いた言葉。

 

私は、仕事は人とは違う、自分にしかできないことをすべきだと、周囲の教えを避け、1人で悶々と悩み、頑張り続けることで、他人と差別化しようとしていた。

 

でも、それが目的になるのは違うのかも。

 

仕事は、目の前にある小さなタスクを、端から、淡々と、漏れなくこなすこと。その小さな積み重ねの中にある気づきを、次の仕事に盛り込む工夫をすること、ここに至る時に喜びが見えるのかと。

 

私は差別化ばかりに気を取られ、目の前にある小さな積み重ねを大切にできていない。周りから学ぶ姿勢を忘れて、大きなことばかりに目を向けていたのではないか。この話を読んでいてそう思った。

 

とにかくよかった。おもしろかった。今出合えてよかった、そんな本だった。これが読書の醍醐味だと思う。曲がりなりにも中学校の先生をやっている1人として、そして瀬尾まいこさんのファンとして、作品作りのモットーはもちろん、学校の先生としての、学級経営や授業からも学んでみたいものです。

 

はーおもしろかった!

 

 

 



 

 

 

#103 育児+

働き始めて2ヶ月弱、新学期始まって1ヶ月弱。

仕事には慣れ、生徒たちにも慣れ、やっと今の生活が落ち着きつつある。

 

今のところ、総じてやっぱり復帰してよかったと思う。娘は保育園大好きだし、たくさん学んで成長している。何より私が保育士さんというプロとともに我が子を育てているという気持ちになれて、本当に心強い。中には何気ない連絡帳の内容で、相談に乗ってくれる保育士さんもいて、本当に心強い(2回目)。

 

ただ入園当初頑丈だった娘のおかげで気づけなかったのが、保育園はウィルスの宝庫だということ。

 

最近娘も保育園に慣れて、お友達と交流するようになってきたのか、よくウィルスをもって帰ってくる。1回熱を出すと完治するまでに1週間はかかる。土日を挟めばまだいいものの、単純計算で少なくとも5日は休まないと治らない。

つまり私も仕事を休むということ。その分職場での申し訳なさは倍増だし、出勤した時の仕事量増えるし、何より自分が体調を崩した時にとっっても休みづらい。

ここをあんまりわかっていなかった、、、

娘のウィルスは看病してたらうつりますわな

なんなら旦那さんもうつって、かろうじて生き延びた私はダブル看病なわけで、そうしたらまた仕事が始まって、疲労困憊、満身創痍なわけで、、、

 

この、育児+看病の意味をちゃんと理解してなかった。

 

 

なんなら、しっかりうつってしまった旦那さんにイラッとしてしまう始末。

 

いかんいかん。

 

最近の私は、女性の不憫さに敏感すぎる。

女性は大変なことは、出産、仕事との両立を経験して日々学びつつあるし、母親が世界で一番過酷な職業だなとも思っているけど、

私は自分にできることを、一生懸命やってくれる旦那さんや、両親や、周りの人のサポートに気づけなくなってしまってたんだなあ

 

特に旦那さん。

毎日風呂掃除して、洗濯物して、

一生懸命家事して、育児して、仕事しているのに、

ちょっと熱出したくらいで優しくできない自分

情けないなあ

 

自分のことばっかりじゃなく

もっと周りに目を向けないと

大切なものを見落としてしまう

 

愚痴や不満が増えるのは、

感謝の気持ちを忘れてる証拠だ

 

 

 

看病させてくれてありがとう

おかげで一緒に過ごす時間が増えたから

みたいなセリフがアナ雪にあったような。

 

そんな気分!

 

 

#102 幸せな平日

先週末は公園や動物園、

水曜日は広島日帰り小旅行。

思い出と共に娘の成長も見られた素敵な過ごし方だった。

 

 

今日は朝から雨なのでのんびりお家時間。

改めてこんな過ごし方もいいな。

 

いつもは手間をかけないように電子レンジであたためるだけの離乳食だけど

今日はできたての納豆ごはんお焼きと蒸し野菜、スクランブルエッグ。

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最近つかみ食べの意欲が急に増してきてのメニュー。

自我が芽生えてきて、つかみ食べへの意欲は嬉しい反面、

フードファイターのように息つく間もなく食べる点は心配だ。

 

 

来週からいよいよ慣らし保育。

寂しいけど、悔いのないように毎日過ごしてきたから、笑顔で迎えよう。

 

仕事が始まっても、たまにの休みには

こうやって手作りでご飯を作って

あたたかいごはんを一緒に食べる日を作る!(決意)

 

 

 

旦那さんをはじめ、家族や友人に支えてもらいながら、

1年間も娘のいちばんそばで、

彼女の成長を間近に見られたこと、

その機会を与えてもらえたことに感謝の気持ちでいっぱい。

 

7月からは、私も新しいステップに進む。

育児+家事 +仕事。

それぞれの場所、つまり家庭や職場では目の前のやることに集中して臨むけど、

オーバーヒートしてしまっては後が大変だ。

だから育児+家事+仕事=100になるよう

全体のパワーバランスを調整すること。

休む時は全力で休むこと。

 

 

悩んで悩んで出した答えだから

自信をもって、その答えを正解にしていこう。

 

 

 

育児は育自。

環境は少し変わるけど、

これからも長い育児生活、

成長著しい彼女と一緒に、成長をとめないgrownup でいよう。

 

 

 

#101 ひび割れの壺

昔、『子どもの心のコーチング』という本を買っていた。

途中まで読んでそのままになっていたが、久々に読みたくなったので読んでみると、今必要な言葉がたくさんあって力をもらった。

 

子育て真っ只中、復職を目前にした私には心に刺さる話ばかりだったが、あとがきの物語に心打たれた。

 

 

水汲みをするために、2つの壺があった。

ひとつはひび割れのない壺、もう一つはひび割れの壺。

水汲み人は、天秤棒の両サイドにその壺たちを提げて水を運ぶのだが、

ひび割れの壺は、水を汲んでご主人様の家に着くまでに、ひびから水がこぼれ落ちて、壺の半分しか水を持ち帰ることができない。

 

ひび割れの壺は惨めに思い、その気持ちを水汲み人に伝えると、

「帰路で道をよく見てごらん」と水汲み人が言った。

 

その日の帰路、ひび割れの壺が道に目をやると、

道端には綺麗な花が咲いていた。

そのことを水汲み人に伝えると、

 

「君の方にだけ花が咲いていることに気づいたかい?君が水をこぼしているのに気づいて、僕が君の側にだけ花の種を蒔いたんだ。おかげでご主人様の家に花を欠かしたことをないんだ」

 

 

この話から感じたことは、

• 自分では欠陥だと思ったいることが、もしかしたら人のために役立っているかもしれない。

 

• 親としてできることは、この水汲み人のように花の種を蒔くことだ。

 

ということ。

 

親も子も完璧じゃない、ひび割れの壺。

そのひびを受け入れた時に、自分の存在の価値を知ることができる。

そんな人間でありたい。

そんな親でありたい。

 

 

いつかのための備忘録でした。

 

 

 

 

#100 母になって

記念すべき100回目が、出産して初の記録。

 

去年の7月に娘を産んで、10ヶ月が経った。

復職を前に、所謂保活中のエピソード。

 

今日は4軒目の保育園見学。

娘も慣れてきたようで、初対面の先生方に手を差し出してタッチをする。

その様子を見て、私も少しずつ娘が保育園に行く姿を想像できるようになって、はきた。

 

ただ、親にとっても子離れは簡単なことではない。

自分がした決断でも、たった1年で仕事に復帰することが本当にいいのか、特に娘を思うと気持ちがぐらぐら揺らぐ。

 

 

帰宅して、娘はいつになく私から離れなかった。

コアラのように抱きついて、離そうとすると泣いて抱っこをせがむ。

月齢的に割と普通ではあると思うけど、それでもいつもとはちょっと違う感じ。毎日一緒にいるからこそわかる違い。

 

お風呂に入って身体を洗い、一息湯船に浸かると、やっぱりコアラのように離れない。

 

その時ふと、

娘は娘なりに、何かを感じ、何かを伝えようとしているのではないか、

これから自分が保育園という場所に行って、母親と離れることをわかっているのではないか、という気になった。

 

だから私は

そろそろ娘が保育園に行くこと

そして母である私は仕事をすること

私が仕事をするのは、自分で自分を好きでいるため

自分を好きだと自信をもてる私で、娘に向き合いたい

ということを、伝えるべきタイミングだと思った。

たとえまだ言葉を話さない赤ちゃんだとしても。

 

 

 

そして、

 

もし、好きでいるための仕事のせいで、自分を嫌いになりそうになったら、私は仕事を辞める。

自分を好きでいるための別の道を探す

ということも伝えた。

 

 

普段は遊びに夢中で話半分の娘も、

今日は少しだけ真剣に聴いているように見えた(贔屓目万歳)。

 

 

 

教師という仕事は素晴らしい。

授業は楽しいし、英語教育で少しでも貢献できることがあるなら、

私の今までの経験が活かされる、やりがいのある仕事だ。

 

それでも、いちばん大切なのは、

その仕事をしている自分が好きか、ということ。

それを見失ってまで、やっていい仕事なんてない。

 

 

 

復職する前に残しておきたくて、久々に書き留めました。

 

いつかまた、この記事が、

疲れた時に一度立ち止まり、また歩み始めるための糧となりますように。

 

 

 

 

 

#099 産休の過ごし方

あっという間に最後の更新から1年弱が経過していたらしい。

あれからいろんなことがあったけれど、

なんだかんだ、素敵な生徒との出会いに恵まれて、

そんな生徒たちに励まされて、

騙され騙され教師という仕事を続けてこれたように思う。

 

そんな私が7月に出産する。

5月半ばからは産休に入るということで、

いろんな生徒がうれしい言葉をかけてくれた。

それだけであと数年は教師をやりたいと思えるのだから不思議だ。

 

とは言っても、産休に入ってからはすっかりOFFモード。

今までの人生で一番のんびりと穏やかに毎日を過ごしている。

 

産休の過ごし方、

毎日散歩をしている。朝30分、夕方30分。時々旦那さんと夜に歩くこともある。

英字新聞を2記事読むこともなんだかんだ続いている。

あとはNetflixでドラマを見ること。

最初はThe Bold Typeという現代版Sex and The Cityを見ていたが、

Stranger ThingのSeason4が始まってからは、そちらを見ることが多くなった。

 

あとは裁縫。

大好きなくまのがっこうのジャッキーのぬいぐるみを作った。

それから米粉パンづくり。

今まで何度か挑戦したことはあったけれど、なかなかうまくいかず、

発酵して膨らまないのは米粉の種類のせいだと、

パン作りには熊本製粉のミズホチカラがいいというネット情報を手に入れ、

今日その米粉で初食パンづくり。

乾燥が目立って少しひびが入ってはしまったけれど、

理想通りに膨らんでなかなかいい出来になった。

 

週末には、旦那さんとTop Gunの新作を見に行った。

あれは映画館で見る映画だ。トムクルーズのプロ意識に頭が下がる思いだ。

出産前最後の映画として、劇場で見ることができて本当によかった。

 

 

とまあ、

この半月を振り返ってみると充実しているようには見える。

ずっと家にいて、一人で過ごしていると、

自然と自己肯定感が下がっていくように感じるのだけれど。

 

今は今しかできないことを大切にしよう。

不安な気持ちは、ときどき立ち止まって、

今まで認めた思いを振り返って、

私は大丈夫だよと、知らせてくれる感情なんだ

そう思ってここに戻ってくればいい。

思いのまま書けばいい。

 

あと予定日まで1か月。

やりたいことはわりとかなえられた。

明日から6月。

次は何をして過ごそうかな。

 

 

 

#098 しんどいときこそ

しんどい毎日が続いている。

 

でも、いい側面を見ようとすれば、

あいつらのかわいい面はたくさんあるのに、

私は悪いところばっかり見ていたのだなあ

 

子どもは、

人間だから、

これ、という法則はない。

優しい子、

自分に自信のない子、

繊細な子、

頑固な子、

たくさんいて、

それが集まったクラス、というのは

唯一無二のものとなる。

だからあのときはこれでうまくいった、とか、

こうしたら失敗だ、とか

過去の経験則から見ての規則みたいな明確なものはないんだと思う。

 

教師として、

私にしかできない方法があると思うけど、

やっぱり周りで一緒に働いてる同僚や、

環境によってずいぶん変わってくると思う。

 

疲れていたんだよなあ

うまくいってなかったよなあ

でも私の根底にいつもあるのは

よくなってほしい

もうそれだけ。

 

失敗は反省。

だからこそ、取り返すためにまだまだ進む。

私の思いはちゃんと伝えたい。

だって、相手を思うがこそ、だから。

どうでもよかったら、何も言ったりしないから。

 

 

7月7日に、願いを込められるとしたら、

どうか私の思いが伝わりますように

 

いつかこれを見直す日が来たら

あの時踏ん張ってよかったと思えますように。